大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和55年(ワ)1533号 判決

甲・乙事件原告

難波江雄生

甲・乙事件原告

難波江長子

右両名訴訟代理人弁護士

中津吉正

甲事件被告

北大阪清掃株式会社

右代表者代表取締役

岩元亮了

右訴訟代理人弁護士

山上益朗

中北龍太郎

乙事件被告

共和設備工業株式会社

右代表者清算人

鍜治巧

右訴訟代理人弁護士

新谷勇人

乙事件被告

森内邦友

右訴訟代理人弁護士

浦功

菅充行

新谷勇人

主文

一  甲事件被告及び乙事件被告両名は各自、甲・乙事件原告難波江雄生に対し、二六一万二〇四四円及びうち二四一万二〇四四円に対する昭和五二年五月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  甲・乙事件原告難波江雄生のその余の請求及び甲・乙事件原告難波江長子の甲事件被告及び乙事件被告両名に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、甲・乙事件原告難波江雄生と甲事件被告及び乙事件被告両名との各間においては、同原告に生じた費用の一〇分の一を同被告らの、同被告らそれぞれに生じた費用の各一〇分の三を同原告の各負担とし、その余は各自の負担とし、甲・乙事件原告難波江長子と甲事件被告及び乙事件被告両名との各間においては、同被告らそれぞれに生じた費用の各三分の二を同原告の負担とし、その余は各自の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  甲事件被告及び乙事件被告両名は各自、甲・乙事件原告難波江雄生(以下、「原告雄生」という)に対し、三六三三万七〇七二円及びうち三四三三万七〇七二円に対する昭和五二年五月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、甲・乙事件原告難波江長子(以下、「原告長子」という)に対し、七七四六万七六六〇円及びうち七二四六万七六六〇円に対する右同日から支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は甲事件被告及び乙事件被告両名の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する甲事件被告及び乙事件被告両名の答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

(一) 日時  昭和五二年五月四日午後二時三〇分頃

(二) 場所  大阪府堺市北花田口町一丁府道高速大阪堺線下11.6キロポスト先路上(堺IC出口付近)(以下、「本件事故現場」という。)

(三) 加害車両  訴外江藤正行(以下、「訴外江藤」という。)運転の特定大型貨物自動車(登録番号、大阪一一な六四一五号。以下、「第一加害車両」という。)及び乙事件被告森内運転の普通乗用自動車(登録番号、大阪五七ち九六四六号以下、「第二加害車両」という。)

(四) 被害車両  原告雄生運転の軽四輪貨物自動車(登録番号、六泉ぬ九三三五号。以下、「被害車両」という。)

(五) 熊様  被告森内は、第二加害車両を運転して前記大阪堺線の走行車線を時速約六〇キロメートルの速度で北から南に向かって進行し、本件事故現場付近で左方の堺IC出口より一般道路へ出るため、時速約三〇キロメートルに減速し右走行車線から出口に向かう減速車線の方へ左に進路を変更しようとして、その左後方の右減速車線上を原告長子を同乗させてほぼ同一速度で同一方向に進行していた原告雄生運転の被害車両の直前に進入したため、追突を避けるべく原告雄生は急制動の措置をとらざるをえなくなった。その結果、被害車両に追従して時速四〇キロメートルの速度で進行していた訴外江藤運転の第一加害車両が被害車両に追突し、その衝撃で前方に押し出された被害車両がさらに玉突き状に第二加害車両に衝突した(以下、「本件事故」という。)。

(六) 受傷  本件事故により、原告雄生は、頸部捻挫、腰部挫傷、右肩挫傷等の傷害を原告長子は、頭部外傷Ⅰ型、頸部捻挫、腰部挫傷等の傷害を負った。

2  責任原因

(一) 甲事件被告北大阪清掃株式会社(以下、「被告北大阪清掃」という)

(1) 被告北大阪清掃は、本件事故当時第一加害車両を所有してこれを自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条により原告らの被った後記3の損害を賠償する責任がある。

(2) 訴外江藤は、産業廃棄物の運搬を業とする被告北大阪清掃の被用者であるが、本件事故は、右江藤が同被告の事業である産業廃棄物運搬のために第一加害車両を運転中、先行車両がいつ急制動の措置をとってもこれとの追突を避けることができるだけの十分な車間距離をとって走行すべき注意義務があるのにこれを怠り、時速四〇キロメートルの速度で走行しながら先行車両である被害車両との車間距離をわずか一三メートルしかとらなかった過失によって発生させたものであるから、同被告は民法七一五条一項によっても右損害を賠償する責任がある。

(二) 被告森内

被告森内は、前記のとおり、本件現場付近で本線の走行車線から減速車線の方へ左に進路を変更しようとしたものであるが、このような場合、自動車運転者としては、左後方から減速車線を進行してくる後続車両の有無を確認するとともに、至近距離にこれを認めたときは、後続車両をやり過ごした後に進路を変更して減速車線に進入し、もって本件のような事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるにもかかわらずこれを怠り、減速車線上の左後方約6.5メートルの至近距離に被害車両が接近してきているのに急に左に進路を変更して減速車線に進入した過失により、本件事故を発生させたものであるから、民法七〇九条により原告らの被った後記3の損害を賠償する責任がある。

(三) 乙事件被告共和設備株式会社(以下、「被告共和設備」という。)

被告共和設備は、本件事故当時第二加害車両を所有してこれを自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条により原告らの被った後記3の損害を賠償する責任がある。

3  損害

(原告雄生)

(一) 治療経過

原告雄生は、本件事故によって受けた前記傷害の治療のため、昭和五二年五月四日から昭和五五年二月一五日まで別表一記載のとおりの通院加療を余儀なくされた。

(二) 後遺障害

原告雄生は、前記のとおりの治療を受けたが治癒するに至らず、次の後遺障害を残したまま、昭和五五年一月八日頃その症状が固定した。

(1) 第一腰椎の明らかな楔状変形、第三腰椎に椎体角離断症と考えられる変形

(2) 頸部・後頭部・背部痛・右上下肢の感覚鈍麻、高度の腰痛、腰部の運動障害

右後遺障害については、自賠責保険調査事務所により、自賠法施行令別表後遺障害別等級表(以下、「等級表」という。)の一二級に該当するとの認定がなされたが、その程度は、実際には一〇級に該当するものである。

(三) 治療費

原告雄生の前記各病院での治療費は、別表一記載のとおり合計一〇八万七九九二円である。

(四) 休業損害

原告雄生は、本件事故当時、妻である原告長子と二人でカラオケ機器等の販売及びサービス業を営み、年間九〇〇万円を下らない利益を得ていたところ、右事故による傷害の治療のため、本件事故当日から昭和五五年一月八日までの三二か月間余り休業を余儀なくされ、収益をあげることができなくなったので、その間の同原告の休業損害は二四〇〇万円となる。

なお、原告雄生の右収益額は、昭和五〇年度の売上五三五一万円と昭和五一年度の売上四〇一一万円の平均額に利益率38.6パーセント(総理府統計局編「個人企業経済調査年報」による卸売業・小売業で従業員一人の場合における総売上高に対する利益率の全国平均23.3パーセントとサービス業で従業員一人の場合における総売上高に対する利益率の全国平均53.9パーセントの平均値)を乗じ、これを原告長子と二分の一宛按分した上、端数を切り捨てて算出したものである。

(計算式)

(53,510,000+40,210,000)÷2×0.386÷2=9,043,980

9,000,000÷12×32=24,000,000

(五) 逸失利益

原告雄生は、大正一五年三月二二日生まれの健康な男子であったところ、前記後遺障害のため、その症状固定時から少なくとも五年間、その労働能力の二七パーセントを喪失したものというべきであるから、右期間に喪失することになる総収益額からホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して右期間の逸失利益の症状固定時における現価を算出すると、一〇六〇万四五二〇円となる。

(計算式)

9,000,000×0.27×4.364=10,604,520

(六) 慰藉料

原告雄生が本件事故によって受けた肉体的・精神的苦痛を慰藉すべき慰藉料の額は、前記入・通院の期間、後遺障害の程度等を斟酌すれば、四七一万円が相当である。

(七) 弁護士費用

原告雄生は、本件各訴訟の提起及び追行を原告ら訴訟代理人に委任し、その費用及び報酬として二〇〇万円を支払うことを約した。

(原告長子)

(一) 治療経過

原告長子は、本件事故によって受けた前記傷害の治療のため、昭和五二年五月四日から昭和五五年一二月二四日まで別表二記載のとおりの入・通院加療を余儀なくされた。

(二) 後遺障害

原告長子は、前記のとおりの治療を受けたが治癒するに至らず、次のような脊髄症状を伴う後遺障害(外傷性頸部症候群)を残したまま、昭和五五年一二月三日頃その症状が固定した。

(1) 筋力低下(手提カバンを持って一〇〇メートル以上歩行できない)、痛覚低下、高度の歩行障害(足の脱力、直進歩行不能)、長時間の腰掛・正座・静止立不能、性交不能

(2) 左右両上肢のしびれ感、頸部・肩部・背部痛、めまい、知覚低下、情緒不安定

右後遺障害については、自賠責保険調査事務所により等級表の九級に該当するとの認定を受けたが、その程度は、実際には七級に該当するものである。

(三) 治療費

原告長子の前記各病院での治療費は、別表二記載のとおり合計六三二万二四四二円である。

(四) 入院雑費

原告長子は、前記入院期間(合計一六七日間)中、少なくとも一日当り一〇〇〇円(合計一六万七〇〇〇円)の雑費を支出した。

(計算式)

1,000×167=167,000

(五) 入院付添費

原告長子は、前記入院期間中付添看護を必要とし、現に忠岡病院及び徳洲会病院に入院中(合計一五〇日間)は義母の、ツカザキ病院入院中(一七日間)は母の各付添看護を受けたところ、一日当たりの付添看護費は、義母については五〇〇〇円、母については七五〇〇円(但し、退院日は時間外労働特別手当込みで七八〇〇円である。)であるから、その合計額は、八七万七八〇〇円となる。

(計算式)

5,000×150+7,500×16+7,800

=877,800

(六) 休業損害

原告長子は、本件事故当時、前記のとおり夫である原告雄生と二人でカラオケ機器等の販売及びサービス業を営み(販売・宣伝・サービス等について夫と共働し、時には夫以上の働きをしていた)、年間九〇〇万円を下らない利益を得ていたところ、右事故による傷害の治療のため、本件事故当日から昭和五五年一二月三日までの四三か月間休業を余儀なくされ、右収益をあげることができなくなったので、その間の同原告の休業損害は三二二五万円となる。

(計算式)

9,000,000÷12×43=32,250,000

(七) 逸失利益

原告長子は、昭和一八年五月一〇日生まれの健康な女子であったところ、前記後遺障害のため、その症状固定時から少なくとも一〇年間、その労働能力の五六パーセントを喪失したものというべきであるから、右期間に喪失することになる総収益額からホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して右期間の逸失利益の症状固定時における現価を算出すると、四〇〇四万二二九六円となる。

(計算式)

9,000,000×0.56×7.9449

=40,042,296

(八) 慰藉料

原告長子が本件事故によって受けた肉体的・精神的苦痛を慰藉すべき慰藉料の額は、前記入・通院の期間、後遺障害の程度等を斟酌すれば、九一八万円が相当である。

(九) 弁護士費用

原告長子は、本件各訴訟の提起及び追行を原告ら訴訟代理人に委任し、その費用及び報酬として五〇〇万円を支払うことを約した。

4 損害の填補

本件事故による損害については、自賠責保険等から、原告雄生に対し六〇六万五四四〇円、原告長子に対し一六三七万一八七八円の各支払がなされている。

よって、前記責任原因に基づいて被告らそれぞれに対し、原告雄生は、右3の同原告欄記載の(三)ないし(七)の合計四二四〇万二五一二円から4の六〇六万五四四〇円を控除した三六三三万七〇七二円及びこのうち弁護士費用を除く三四三三万七〇七二円に対する本件事故の日である昭和五二年五月四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを、原告長子は、3の同原告欄記載の(三)ないし(九)の合計九三八三万九五三八円から4の一六三七万一八七八円を控除した七七四六万七六六〇円及びこのうち弁護士費用を除く七二四六万七六六〇円に対する右同日から支払ずみまで右同割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する被告らの認否

(被告北大阪清掃)

1 請求原因1の(一)ないし(五)の事実は認めるが、同(六)の事実は知らない。

2 同2の(一)の事実は認める。

3 同3の事実のうち、原告雄生関係(一)、(三)、(六)及び(七)は知らない。同(二)のうちその主張どおりの後遺障害の等級認定があったことは認めるが、その余は否認する。同(四)のうち本件事故当時原告雄生がカラオケ機器の販売等を営んでいたことは認めるがその余は否認する。同(五)も否認する。原告長子関係(一)、(三)ないし(五)、(八)及び(九)は知らない。同(二)のうちその主張どおりの後遺障害の等級認定があったことは認めるが、その余は否認する。同(六)及び(七)も否認する。

原告らが本件事故によって受けた傷害はいわゆる鞭打ち症で、それも数か月の治療で完治する程度の軽症であった。それにもかかわらず、原告らが長期間にわたって治療を受けている事実があるとすれば、それはいわゆる賠償ノイローゼによるものであり、賠償金の支払いを受けることによりたちまち治ってしまう程度の不定愁訴が続いていたからであるに過ぎない。さらに原告長子については、原告雄生より若干症状が重いとしても、その症状の多くは心因性のものであり、また演出されたものである疑いの濃厚なものである。のみならず、本件事故に起因するものではなくて、単なる老化現象による症状も含まれているので、いずれにせよ原告らの本件事故による受傷・後遺障害の程度がその主張のごときものであるようなことはありえない。

なお、右カラオケ機器販売業による原告らの収益の額がその主張のように高額なものでなかったことは、それを裏付けるべき帳簿・伝票等の的確な資料が一切存在せず、また原告らが所得税の確定申告を全くしていなかったことに徴しても明らかである。

4 同4の事実は認める。

(被告森内及び同共和設備)

1 請求原因1の(一)ないし(五)の事実は認める(但し、原告雄生が急制動の措置をとらざるをえなくなったとの点は除く。)が、同(六)の事実は知らない。

2 同2の(二)の事実のうち、第二加害車両が被害車両の約6.5メートル前方の減速車線に進入したことは認めるが、その余は否認する。被告森内は減速車線に進入するにあたり、時速約三〇キロメートルに減速するとともに、左折の合図を出して減速車線に進入したものであり、被害車両もほぼ同じ速度で走行していたのであるから、そのままの速度かあるいは軽く減速する程度で走行を続けておれば何らの事故も発生しないで済んだのに、原告雄生があわてて急制動の措置をとったために本件事故が発生するに至ったものである。したがって、右事故は原告雄生の一方的過失によるものであって、被告森内には何らの過失もない。

同2の(三)の事実のうち、被告共和設備が本件事故当時第二加害車両を所有していたことは認める。

3 同3の事実のうち、原告ら主張どおりの後遺障害の等級認定があったこと及び原告雄生がカラオケ機器の販売業を営んでいたことは認めるが、原告長子が同雄生と共に右営業に従事していたこと及び原告雄生の右営業による収益の額がその主張どおりであったことはいずれも否認する。原告雄生の症状は、昭和五三年一一月一七日ころから遅くとも同年一二月一日ころまでには固定しており、原告長子の症状も、昭和五三年一二月六日ころには固定したものである。その余の事実は知らない。

4 同4の事実は認める。

三  被告森内及び同共和設備の抗弁

1  免責(被告共和設備)

本件事故の発生につき第二加害車両の運転者である被告森内に何らの過失もなく、右事故がその必要もないのにあわてて急制動の措置をとったという原告雄生と一方的過失によって発生したものであることは前記のとおりであるから、第二加害車両の運行供用者である被告共和設備にも損害賠償責任はない。

2  消滅時効

原告らは、昭和五二年五月四日の本件事故当日、加害者が被告共和設備及び同森内であることと同事故による損害とを知ったものであり、その時点より既に三年が経過したので、本訴において消滅時効を援用する。

3  過失相殺

仮に、本件事故の発生について被告森内に過失があるとしても、原告雄生にも不用意に急制動の措置をとった過失があり、それが本件事故発生の一因を成しているのであるから、同原告の損害賠償額の算定にあたっては右過失が斟酌されるべきである。また、これに同乗していた妻である原告長子の損害賠償額の算定にあたっても、被害者側の過失として同様に右過失が斟酌されるべきである。

四  抗弁に対する原告らの認否

1  抗弁1の事実は否認する。

2  同2の事実のうち、原告らが本件事故の日に損害を知ったとの点は否認する。

3  同3の事実は否認する。

五  再抗弁(時効完成後の承認)

被告森内は、本件事故当時被告共和設備の代表者であったところ、昭和五五年一一月三日、自己及び右共和設備を被保険者とし、第二加害車両を被保険自動車として締結していた自家用自動車保険(任意保険)契約の保険者同和火災海上保険会社に対し、本件事故によって原告らに生じた損害を填補すべき保険金の支払を請求するとともに、同月一五日、原告らに対し、右保険金の請求及び受領に関する一切の事務を委任し、その旨の委任状を交付した。

被告森内の右の行為は、右被告らの原告らに対する本件損害賠償債務の承認に当たるというべきところ、右承認は時効完成後のものであるが、このような事実がある以上、信義則に照らし、同被告らが右債務について時効を援用することは許されない。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁事実自体は認めるが、被告森内の行為は債務の承認に当たるものではない。被告森内が右のように任意保険金の請求をしたり、その請求及び受領に関する委任状を原告らに交付したりしたのは、原告らが被告らに迷惑をかけることはないからと執拗に懇願するので、保険会社がこの請求を認めて保険金を支払うかどうかは保険会社が決めることであるが、それを支払うというのであれば、特に異議を述べるまでもないと考えてしたことであって、被告らが原告らに対して本件事故に基づく損害賠償義務を負っていることを認めた上でしたことでは毛頭ない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一本件事故の発生

請求原因1の(一)ないし(五)の事実(本件事故の発生及び熊様。但し、(五)の事実のうち原告雄生が急制動の措置をとらざるをえなくなったとの点は除く。)については当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、同1の(六)の事実が認められる。

二責任原因

1  被告北大阪清掃関係

請求原因2の(一)(1)の事実は、当事者間に争いがないので、被告北大阪清掃は、自賠法三条により、本件事故によって原告らに生じた後記損害を賠償する責任があるというべきである。

2  被告森内・同共和設備関係

被告森内が第二加害車両を運転して時速約六〇キロメートルの速度で府県高速大阪堺線の走行車線を堺IC出口付近まで進行し、そこから一般道路に出るため、時速約三〇キロメートルに減速し右走行車線から出口に向かう減速車線の方へ左に進路を変更しようとしたことは、前記のとおり当事者間に争いのないところ、このような状況の下に車線を変更しようとする自動車の運転者には原告主張のごとき(請求原因2(二))注意義務があったものといわなければならない。

しかるに、〈証拠〉によれば、被告森内は、その際ミラーによって減速車線上の左後方約6.5メートル(但し第二加害車両後部と被害車両の前部との間隔は三メートル前後)の至近距離を被害車両が走行しているのを認めながら、その直前でも支障なく進入することができるものと軽く考え、被害車両が先に通過するのを待たずにそのまま被害車両の直前に進入したことが認められるとともに、これを見た被害車両の運転者である原告雄生が追突を避けるべく急制動の措置をとり、その結果本件事故を発生させるに至ったことは前記のとおりであるから、本件事故は被告森内が右注意義務を怠った過失によって生じたものというべきである。

なお、この点につき被告森内及び同共和設備は、原告雄生がなんらその必要もないのに急制動の措置をとったために本件事故が発生するに至ったもので、被告森内になんらの過失はないと主張するので考えるに、前記証拠によれば、第二加害車両が被害車両の進路直前に進入した際、両車両の速度はいずれも時速三〇キロメートル程度であったことが認められるので、客観的には、被害車両が急制動の措置をとらないでそのまま進行していても第二加害車両との衝突を避け得る状況にあったもののごとくであるけれども、時速三〇キロメートルで走行する車両の進路直前(車間距離にして三メートル程度の地点)に、右後方から追いついて来て減速しながら車線を変更した車両が進入してくれば、後続車両の運転者が反射的に急制動の措置をとるかもしれないことは容易に予見しうるところであるから、右のような状況にあったからといって被告森内の過失が否定されることになるものではない。したがって、被告らの右主張を採用することはできない。

さらに、被告共和設備が本件事故当時第二加害車両を所有していたことは当事者間に争いがない。

そうすると、被告森内は民法七〇九条により、被告共和設備は自賠法三条により、それぞれ本件事故によって原告らに生じた後記損害を賠償する責任があるというべきである。

三原告雄生の損害

1  治療経過

〈証拠〉によれば、原告雄生が別表一記載のとおり通院して治療を受けたことが認められるところ、右通院が本件事故による受傷の治療のためであったかどうかについて検討するに、〈証拠〉を総合すると、以下の事実を認めることができ、その認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  昭和五二年五月四日から昭和五三年一二月一日までの間の治療経過

原告雄生は本件事故直後、清恵会病院に赴いて診察を受け、「頸部捻挫、右肩打撲」と診断されたが、昭和五二年五月六日からは自宅に近い公立忠岡病院(以下、「忠岡病院」という。)へ転院した。同病院では、項部・腰部・右肩部に疼痛を訴え、右各部の圧痛や外傷性肩関節周囲炎が認められたため、「頸部捻挫、腰部挫傷、右肩挫傷」の診断を受け、前記のとおり昭和五三年一一月三〇日までの一年余りの間通院して湿布、牽引等の理学療法や鎮痛剤の投与等の薬物療法を継続した。しかし、右のような治療の継続にもかかわらず、同原告の症状は必ずしも好転せず、自覚症状にも特段の変化が見られなかったため、同病院の担当医師は、右同日原告雄生の症状が固定した旨の診断を下した。

忠岡病院への通院期間中である昭和五三年六月二八日から同年九月八日までの間、同原告は大阪労災病院でもほぼ同内容の治療を受けるとともに、同年一二月一日同病院の担当医師により症状固定の診断を受けた。

なお、同原告は昭和五三年七、八月頃から同病院で、また、同年一一月頃大阪府立身体障害者福祉センター付属病院で、それぞれ耳鳴りや眼の痛みを訴えて診察を受け、「両感音難聴」もしくは「神経性難聴の疑い」「老視・眼精疲労」などの診断を受けたが、特段の治療は施されなかった。

(二)  昭和五三年一二月二日から昭和五五年二月一五日までの治療経過

同原告は、前記のとおり昭和五三年一二月二日以降も大阪労災病院、祐生病院に通院しているが、これらはいずれも後遺障害の診断を受けることを目的とするもので、その際特段の治療は受けなかった。

以上認定の事実によれば、原告雄生の愁訴は多岐にわたり、その治療期間も受傷の内容・程度に照らして通常必要と認められるものより相当長期化しているものといわざるをえないので、右通院治療のすべてが本件事故による傷害のためのものであったと認められるかにつき若干の疑問がないわけではない。しかしながら他方、〈証拠〉によれば、本件事故当日である昭和五二年五月四日清恵会病院で撮影された原告雄生の頸椎のレントゲン写真では、第四ないし第五頸椎の棘突起背側に項中隔石灰化症を窺わせる像が認められたところ、右項中隔石灰症は頸腕症候群の原因ともなりうるもので、後頭部への疼痛、項こり、背こり、指先のしびれ感等の自覚症状を伴うことがあること、本件事故によって原告雄生の右項中隔石灰化症が悪化し、それによって右のような自覚症状が誘発された蓋然性が高いこと、昭和五二年五月六日忠岡病院で撮影された原告雄生の腰椎のレントゲン写真では、第三腰椎の上縁前方の椎体に腰痛の原因となる椎体角分離断症を窺わせる変形が認められるとともに、第一腰椎の椎体にごく軽度な楔状変形(圧迫骨折)が認められたところ、昭和五四年三月六日祐生病院で撮影された同原告の右部位のレントゲン写真では、右第三腰椎の上縁前方の変形像はより明瞭になり、右部位に二次的な骨増殖の像も認められたこと、右椎体角分離断症は、直接外力によって生じた変形ではないが、外力に起因する椎間板の前方脱出による損傷であり、また、右第一腰椎椎体の軽度な楔状変形も、右椎体角分離断症を生じさせたのと同一の外力によって生じた椎体の圧迫骨折である可能性が高いことがそれぞれ認められ、右認定を覆すに足りる証拠は見当たらない。

そうすると、前記各通院はいずれも、本件事故による受傷の治療のためであったと認めるのが相当というべきである(但し、症状固定の時期については後記認定のとおりである。)。

2  症状固定の時期及び後遺障害の内容・程度

原告雄生が忠岡病院、大阪労災病院の各医師から、昭和五三年一一月三〇日、同年一二月一日それぞれ症状が固定した旨の診断を受けたことは前記のとおりであるところ、前記治療経過に本件事故の熊様、受傷の部位・程度などに照らすと、原告雄生の症状は遅くとも昭和五三年一二月一日頃に固定し、治療を継続してももはや治療効果を期待しえない状熊となったものと認定するのが相当である。

そこで、同原告の後遺障害の有無及び内容・程度について検討するに、〈証拠〉によれば、原告雄生の傷害は前記通院治療によっても完治せず、右症状固定時において、頸部、肩部及び腰部痛などの自覚症状のほか、両大後頭神経、項部、右上腕二頭筋棘下筋及び腰部の圧痛、右上下肢の感覚鈍麻、腰部の運動制限、第一及び第三腰椎の軽度な変形などの後遺障害が残っていたことが認められ、これらのうち、頸部、肩部及び腰部の疼痛は全体として、等級表の第一二級一二号「局部に頑固な神経症状を残すもの」に、第一及び第三腰椎の変形は第一一級五号「脊柱に奇形を残すもの」にそれぞれ該当するものと認定するのが相当である。

3  症状発生に対する本件事故の寄与度

原告雄生の頸椎に本件事故前から項中隔石灰化症があり、これが本件事故によって悪化し、各部の疼痛等の自覚症状を誘発したものであることは前記のとおりであるところ、〈証拠〉によれば、右項中隔石灰化症が多彩な不定愁訴を起こし易い体質を形成していたものであることが認められるので、本件事故後原告雄生に生じた症状のすべてが右事故に起因するものとみるのは相当でなく、同原告の右体質もこれらの症状の発生・悪化に寄与していたものというべきであって、前記1及び2において認定した諸事情を総合して判断するならば、原告雄生の前記諸症状の発生について本件事故の寄与している割合は八割程度と評価するのが相当である。

4  治療費 一〇一万一二三〇円

〈証拠〉によれば、原告雄生の前記清恵会病院、忠岡病院及び症状固定時である昭和五三年一二月一日までの大阪労災病院における治療費の合計額は、一〇一万一二三〇円であることが認められる。

右症状固定時以後に支出した治療費は、特段の事情の認められない本件においては、本件事故と相当因果関係に立つ損害とは認められない。

5  休業損害  四三〇万七六五一円

〈証拠〉によれば、原告雄生は大正一五年三月二二日生まれの本件事故当時健康な男子で、本件事故当時妻である原告長子の協力の下に大和商会の名称でジュークボックス、カラオケ等の販売業を営み、その収益により生計を維持していたこと、大和商会は日本ビクター株式会社と販売代理店契約を締結し、主として同社から仕入れた製品等を販売していたことが認められるところ、〈証拠〉によれば、このうち大阪ビクターローン株式会社のクレジットを利用して販売したものの売上高は、昭和五〇年度が三〇四三万五〇〇〇円、五一年度が一六六一万円、五二年度(但し一月から六月までの半年間)が五一六万五〇〇〇円であったことが認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

もっとも、原告らは、右以外にも多額の売上があり、昭和五一年度及び昭和五二年度の総売上高はそれぞれ五三五一万及び四〇一一万円であったと主張し、乙第二三号証の四、第二四号証の一及び第二五号証の一には、右主張に沿う記載も存するが、原告雄生本人尋問の結果によれば、右乙号各証は、乙第二三号証の六ないし二九の各一、二、第二四号証の二ないし七の各一、二、同号証の九、第二五号証の二ないし四の各一、二、同号証の六に基づいて作成されたものであることが窺われ、しかもこれらの乙号各証に記載された売上高がいかなる資料に基づくものであるのかは全く不明であって、この点に関する原告雄生の供述及び証人古川早苗の証言も極めて瞹眛でとうてい採用することができないものであるから、結局、いずれも右乙第二三ないし第二五各号証の裏付けとしては不十分といわざるを得ず、しかも右以外にその裏付けとなるような帳簿・伝票等の的確な証拠は全く存在しない。のみならず、〈証拠〉によれば、原告らは本件事故前右ジュークボックス、カラオケ機器等の販売業による営業所得につき、所得税の確定申告を全然していなかったことが認められるのであって、これらの点からすれば、原告らの右商品の売上高がその主張のとおりであったことについてはその証明が十分でないというよりほかはない。

そこで、前記認定のビクター製品の売上高を基礎として本件事故前における大和商会の一年間の平均売上高を算出し、これに卸売業・小売業で従業員一人の場合における総売上高に対する利益率の全国平均23.3パーセント(右利益率は、〈証拠〉によって認められる。)を乗じて大和商会の平均年間純利益を算出すると四八六万五九七二円となるので、これをもって本件事故当時における同商会の年間収益額と推認すべきところ、〈証拠〉によれば、大和商会の経営については、原告雄生が企画、営業、経理の全般を担当し、原告長子は主婦として家事労働に従事する傍ら主として自宅において製品の検査や販売の準備などを担当するなどしてこれを手伝っていたことが認められ(この認定に反する同原告らの各供述部分は採用できない。)、これらの事実に照らすと、大和商会の経営における原告らの寄与率は、原告雄生が七割、同長子が三割程度と認定するのが相当である。そうすると、原告雄生の本件事故当時の年収は三四〇万六一八〇円となるところ、前記認定の同原告の症状の程度、治療内容、通院の頻度、職業等諸般の事情に照らせば、同原告は本件事故による傷害の治療のため、その症状が固定した昭和五三年一二月一日までの五七七日間にわたりその労働能力の八〇パーセントを喪失し、右収入を得られなくなったものと推認するのが相当であるから、その間の休業損害は四三〇万七六五一円となる。

(計算式)

(30,435,000+16,610,000+

5,165,000)÷2.5×0.233=4,865,972

4,865,972×0.7=3,406,180(円以下切り捨て)

3,406,180÷365×577×0.8

=4,307,651(円以下切り捨て)

6  逸失利益

前認定の原告雄生の後遺障害の内容・程度によると、同原告は、右後遺障害によりその労働能力の二七パーセントを喪失し、その喪失期間は症状固定時から四年程度と推認するのが相当であるから、その間に喪失することになる収入総額からホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、その逸失利益の症状固定時における現価を算出すると、三二七万七九七四円となる。

(計算式)

3,406,180×0.27×3.5643=3,277,974(円以下切捨て)

7  慰藉料 二〇〇万円

本件事故の熊様、原告雄生の傷害の部位・程度・治療経過、後遺障害の内容・程度その他証拠上認められる諸般の事情を斟酌すれば、同原告が本件事故によって受けた精神的・肉体的苦痛を慰藉するに足りる慰藉料の額は二〇〇万円とするのが相当である。

8  寄与度減額

原告雄生の被った損害の発生について本件事故が寄与している割合を八割と評価すべきことは前記のとおりであるから、右4ないし7の合計額から二割を減額する。

四原告長子の損害

1  治療経過

〈証拠〉によれば、原告長子が別表二記載のとおり入・通院して治療を受けたことが認められるところ、右入・通院が本件事故による受傷の治療のためであったかどうかについて検討するに、〈証拠〉によれば、以下の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  昭和五二年五月四日から同年同月一八日までの治療経過

原告長子は、本件事故直後清恵会病院に赴いて診察を受け、「胸部打撲、頸部捻挫、右下肢打撲」と診断されたが、同年五月九日忠岡病院に転院した。同病院では頭部・項部・背部・腰部の疼痛及び両下肢の痺れを訴えたところ、両大後頭三叉神経・項部・僧帽筋の圧痛も認められたため、「頭部外傷Ⅰ型、頸椎捻挫、腰部挫傷、左肘挫傷」と診断されて同日入院することになり、以後同月一八日まで入院して薬物療法、理学療法等の治療を受けた。

(二)  昭和五二年五月一九日から同年七月二四日までの治療経過

忠岡病院退院後も同病院に通院して治療を続ける傍ら、前記のとおり、平行して徳洲会病院、大阪労災病院、山田堺東診療所にも通院したが、その間、自覚症状として頭部・項部・背部・腰部の疼痛が続いていたほか、精神的不安定の状態があらわれることもあった。もっとも山田堺東診療所での脳波検査の結果では、特段の異常所見は認められなかった。

(三)  昭和五二年七月二五日から同年一二月一一日までの治療経過

この間徳洲会病院に入院したことは前記のとおりであるが、その診断名は「外傷性頸部症候群」であり、治療内容は薬物療法及び理学療法であった。右入院期期中、市立岸和田病院(以下、「岸和田病院」という。)耳鼻咽喉科、和歌山労災病院脳神経外科及び眼科、忠岡病院でも診察、治療を受けたが、岸和田病院では足の痺れ、ふらつきを訴え、平衡機能検査において軽度の中枢失調が認められたため、「めまい症」と診断され、また、和歌山労災病院脳神経外科では、神経学的には著変は認められなかったものの、左大後頭神経及び三叉神経第一枝に圧痛が認められたため、「頸椎捻挫、大後頭三叉神経痛」と診断され、さらに、同病院眼科では「上眼窩神経痛」の診断を受けた。

(四)  昭和五二年一二月一二日から昭和五三年九月三日までの治療経過

徳洲会病院退院後も通院するとともに、同時に大阪労災病院、忠岡病院にも通院して薬物療法、理学療法を受け、その間、喜多クリニック、大阪大学医学部付属病院(以下、「阪大病院」という。)、浅香山病院、大阪市立大学医学部付属病院(以下、「市大病院」という。)でも受診したが、頭部・項部・背部・腰部・左下肢痛、めまい、歩行障害(左側への歩行時のよろめき)など、その自覚症状には改善が見られなかった。なお、大阪労災病院の診断名は「頭頸部挫傷、頸椎骨軟骨症」、阪大病院では「頸部外傷後不定愁訴」であった。

(五)  昭和五三年九月四日から同年一二月六日までの治療経過

前記のとおり九月二〇日までツカザキ病院に入院し、ミエログラフその他の精密検査を受け、「頸椎症性脊髄症、外傷性頸部症候群の疑い」と診断されたが、その間、多彩な不定愁訴のため、同病院から高岡病院精神神経科を紹介され、同病院で診察を受けた結果、「外傷性自律神経失調症」と診断された。ツカザキ病院退院後は忠岡病院及び市大病院に通院し、大阪労災病院でも一回診察を受けた。市大病院では「頸髄損傷、頸椎症」と診断されたが、その症状に変化に認められなかったため、昭和五三年一二月六日症状が固定した旨の診断を受けた。

(六)  昭和五三年一二月七日から昭和五五年一二月二四日までの治療経過

症状固定の診断を受けた後も頑固な頭痛、眩暈、歩行異常感等を訴え、市大病院に通院して投薬主体の治療を受けるとともに、祐生病院にも通院し、薬物療法、理学療法を受けたが、その症状に特段の変化はなかった。また、その頃関西労災病院でも受診した。祐生病院では、頸部捻挫の合併症としての脊髄根症状を示しているとして、「頸椎椎間軟骨症(頸部脊髄根症状の疑い)」と診断され、関西労災病院では、整形外科的所見以外に神経学的所見としては特別なものはないが、神経症に起因する各種の神経症状が不定に現われるので、整形外科的所見の改善と各種問題の解決が必要である旨の診断を受けた。この期間の通院の頻度は、前記のとおり概ね一〇日に一度くらいであり、それ以前に比較して著しく減少している。

右認定の事実によれば、原告長子は本件事故後一五の病院に同時または異時に通院し、あるいは入院して治療を受けたものであり、その愁訴は多岐にわたり、治療期間も受傷の内容・程度に照らして通常必要と認められるものより著しく長期化していることを否定することができないので、原告雄生の場合と同様、右入院治療のすべてが本件事故による傷害のためのものであったと認められるかにつきかなりの疑問がないわけではない。

しかしながら、〈証拠〉によれば、本件事故当日である昭和五二年五月四日清恵会病院で撮影された原告長子の頸部のレントゲン撮影では、第五、第六頸椎の椎間間隙の狭小化と、その部の椎体のアラインメントの不整化、第六頸椎の第五頸椎に対する前方へのわずかなすべり、右部位における椎間孔の変形・狭小化及び椎体前後縁の骨棘形成が見られたこと、その後ツカザキ病院でのレントゲン撮影では、右部位におけるこれらの変化は更に明瞭となり、椎間間隙の狭小化とともに椎体後縁・側縁の骨棘形成による椎間孔の狭小化は明らかに高度となっていたこと。昭和五三年九月一五日ツカザキ病院で撮影されたミエロ写真でも、第五、第六頸椎間に椎体後縁の骨棘形成が、また、同部及び第四、第五頸椎間に椎間板突出によると思われる造影剤の欠損がそれぞれ見られた上、その後方にもかなり広範囲にわたり造影剤の部分的欠損が見られたことにより、右部分において脊柱管の狭搾が確認されたことがそれぞれ認めれるのであって、右認定事実に前記諸症状が本件事故直後から発症している点を併せ考えるならば、右症状は、椎間間隙の狭小や椎体後縁・側縁の骨棘形成による椎間孔の狭小などの体質的素因と本件事故による頸椎及び頸椎椎間板の損傷とが相俟って発生・悪化したものと推認することができ、この推認を覆すに足りる証拠は見当たらない。

さらに、右各証拠によれば、原告長子の愁訴は他覚的所見に乏しいのにかかわらず極めて多彩であり、その程度も気候や環境の変化により異なるなど不安定であることが認められるところ、〈証拠〉によれば、昭和六二年七月五日実施の心理学的検査(CMI検査)の結果でも、同原告の心理状態は、「神経症的と判断して差し支えない領域」にあったことが認められる上、高岡病院において「外傷性自律神経失調症」の診断がなされ、関西労災病院においても同原告の症状が神経症的である旨診断されたことは前記のとおりであって、これらの事実に照らすと、心因的要因がその治療を長期化せしめる大きな原因となっていることも否定することができないというべきである。

以上の点からすれば、原告長子の体質的要因や心因的要因が症状の悪化、治療の長期化に寄与していることを否定することができないものの、前記各入通院自体は、いずれも本件事故による受傷・症状の治療のためであって、右事故と治療との間には因果関係が存在するものと認めるのが相当である(但し、症状固定の時期については後記認定のとおりである。)。

2  症状固定の時期及び後遺障害の内容・程度

原告長子が忠岡病院及び市大病院医師から、昭和五三年一二月六日症状が固定した旨の診断を受けたことは前記のとおりであるところ、前記治療経過に本件事故の態様、受傷の部位・程度などに照らすと、原告長子の症状は、遅くとも昭和五三年一二月六日頃に固定し、治療を継続してももはや治療効果を期待しえない状態となったものと認定するのが相当である。

そこで、同原告の後遺障害の有無及び内容・程度について検討するに〈証拠〉によれば、原告長子の傷害は前記入通院治療によっても完治せず、右症状固定時において、頸部痛、めまいなどの自覚症状のほか、頸椎の運動障害、右上下肢の軽度の筋力低下、歩行障害、神経症的症状などの後遺障害が残っていたことが認められるのであって、その程度は等級表の第九級一〇号「神経系統の機能または精神に障害を残し、服することができる労務が相当程度に制限されるもの」に該当するものと認定するのが相当である。

3  損害発生に対する本件事故の寄与度

前記認定の原告長子の諸症状の発生・悪化について同原告の体質的素因や心因的要因もまた寄与しているものと認めるべきことは前記のとおりであって、前記1及び2において認定した諸事情を総合して判断するならば、右諸症状の発生について本件事故の寄与している割合は七割程度と評価するのが相当である。

4  治療費 六二三万一七八九円

〈証拠〉によれば、原告長子の前記各病院における昭和五三年一二月六日までの治療費の合計額は、六二三万一七八九円であることが認められる。

5  入院雑費 一一万六九〇〇円

原告長子は、前記一六七日間の入院期間中、経験則上一日当たり七〇〇円と推認される雑費合計一一万六九〇〇円を支出したものと認めるのが相当である。

(計算式)

700×167=116,900

6  入院付添費 二二万五〇〇〇円

原告長子の前記傷害の程度からすれば、忠岡病院入院中及び徳洲会病院入院期間のうち八〇日間付添看護を必要としたものと認められとともに、〈証拠〉によれば、同原告は、右入院期間中近親者の付添看護を受けたことが認められ、かつ、右近親者の付添看護に必要な費用は、経験則上一日当たり二五〇〇円であったと推認するのが相当であるから、その合計額は二二万五〇〇〇円となる。

(計算式)

2,500×90=225,000

7  休業損害 二六〇万八九五四円

〈証拠〉によれば、原告長子は昭和一八年五月一〇日生まれの本件事故当時健康な女子であったことが認められるところ、同原告が当時主婦として家事労働に従事する傍ら家業のジュークボックス、カラオケ等の販売業を手伝っていたこと、右家業における同原告の寄与率が三割程度であったことはいずれも前記のとおりであるから、同原告の休業損害算定のための基礎金額は、昭和五二年賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計の三〇歳から三四歳までの女子労働者の平均年間給与額一六三万六二〇〇円と推認するのが相当である。そうするとその間の休業損害は二六〇万八九五四円となる。

(計算式)

1,636,200÷365×582=2,608,954(円以下切り捨て)

8  逸失利益 二九九万五九一七円

前記認定の原告長子の後遺障害の内容・程度によると同原告は、右後遺障害によりその労働能力の三五パーセントを喪失したものであり、その喪失期間は症状固定時から六年程度と推認するのが相当であるところ、前記7の説示によれば、同原告の症状固定時以降の逸失利益算定のための基礎金額は、症状固定時の属する昭和五三年賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計の三五歳から三九歳までの女子労働者の平均年間給与額一六六万七四〇〇円と推認するのが相当であるから、右期間中に労働能力の喪失によって失うことになる収入総額からホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、その逸失利益の症状固定時における現価を算出すると、二九九万五九一七円となる。

(計算式)

1,667,400×0.35×5.1336

=2,995,917(円以下切り捨て)

9  慰藉料 三五〇万円

本件事故の態様、原告長子の傷害の部位・程度、治療経過、後遺障害の内容・程度その他証拠上認められる諸般の事情を斟酌すれば、同原告が本件事故によって受けた精神的・肉体的苦痛を慰藉するに足りる慰藉料の額は三五〇万円とするのが相当である。

10  寄与度減額

原告長子の被った損害の発生について本件事故が寄与している割合を七割と評価すべきことは前記のとおりであるから、右4ないし9の合計額から三割を減額する。

五過失相殺(被告森内及び同共和設備)

前記一及び二2の事実関係からすれば、本件事故の発生につき、損害額の算定の際に斟酌するほどの過失が原告雄生にあったものと認めることはできない。

六損害の填補

原告雄生及び同長子が本件事故に関し、自賠責保険等からそれぞれ六〇六万五四四〇円及び一六三七万一八七八円の各支払いを受けたことは当事者間に争いがない。そこで、原告雄生につき前記三の4ないし7の合計額一〇五九万六八五五円に0.8を乗じた金額から、原告長子につき四の4ないし9の合計額一五六七万八五六〇円に0.7に乗じた金額(円以下切り捨て)からそれぞれ右各填補額を控除すると、結局原告らが被告らに請求し得る損害賠償金(後記弁護士費用を除く。)の残額は、原告雄生については二四一万二〇四四円であるが、原告長子には存在しないこととなる。

七弁護士費用

原告らが弁護士である原告代理人に本件訴訟の追行を委任し、その費用及び報酬の支払いを約したことは、弁論の全趣旨によってこれを認めることができるところ、本件事故の内容、請求額、認容額その他諸般の事情を勘案すると、本件事故と相当因果関係に立つ損害として原告雄生が被告らに請求し得る弁護士費用の額は二〇万円とするのが相当であるが、原告長子についてはこれを認めることができない。

したがって、原告長子の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないというべきである。

八消滅時効(被告森内及び同共和設備)

1  原告雄生が本件事故当日に加害者が被告森内及び同共和設備であることを知ったことは同原告において明らかに争わないところ、同原告が右当日損害を知ったものと認められるかどうかについて検討するに、前記認定の原告雄生の受傷内容、治療経過、後遺障害の内容・程度等に照らすと、同原告が本訴において主張する前記各損害は、いずれも本件事故による受傷と牽連一体をなす損害であり、受傷当時その発生を予見することが可能なものであったというべきであるから、同原告においてその受傷の事実を知った以上、右損害についても認識があったものとして、民法七二四条所定の消滅時効はその時から進行を開始するものというべきところ、〈証拠〉によれば、同原告が本件事故当日受傷の事実を知ったことは明らかであるから、右損害の賠償請求権についての消滅時効は、本件事故の日からその進行を始めたものといわなければならない。

しかして、その日から三年が経過したことは顕著な事実である。

2  そこで、右消滅時効の援用が信義則に反するかどうかについて判断するに、原告雄生主張の再抗弁事実自体については当事者間に争いのないところ、〈証拠〉によれば、被告森内は、本件事故につき業務上過失致傷被疑事件の被疑者として取調べを受けた際自己の過失を認めていたこと、その後、略式命令を請求され、昭和五二年一一月四日に道路交通法違反(安全運転義務違反)の罪で有罪判決(罰金刑)を受けたことが認められるのであって、そのように本件事故につき過失を認め、かつ、刑事責任を問われて有罪判決に服した被告森内が、右のような保険金の支払請求をするとともに、原告雄生に保険金の請求及び受領に関する一切の事務を委任し、その旨の委任状を交付した以上、本件事故に基づき同原告に対し損害賠償義務を負担していることを認識している旨表示したものといわざるをえず、したがって、被告森内の右行為は、同被告及び被告共和設備の原告雄生に対する本件損害賠償債務の承認(時効完成後)に当たるものと認めるのが相当である。

もっとも、この点につき被告森内は、これらの行為につき、保険会社が支払うのであれば特に異議を述べるまでもないと考えてしたことであって、被告らが原告雄生に対し本件事故に基づく損害賠償義務を負っていることを認めた上でしたことではない旨供述しているけれども、右事実関係に照らしてにわかに採用しがたく、他にこの認定を覆すに足りる事情及び証拠は見当らない。

そうすると、同被告らが右債務について時効を援用することは、信義則に照らして許されないものというべきである。

九結論

以上の次第で、原告らの被告らに対する本訴請求は、原告雄生において前記六の損害賠償金残額に七の弁護士費用を加えた二六一万二〇四四円及びうち右弁護士費用を除く二四一万二〇四四円に対する本件事故の日である昭和五二年五月四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、同原告のその余の請求及び原告長子の各請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官藤原弘道 裁判官田邉直樹 裁判官真部直子)

別表一、二〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例